巌流島の中で一番小高い丘の上の事が展望広場です。
そこにたっているのは、武蔵と小次郎の決闘像と決戦の石碑です。
決戦の石碑は絵巻物風にこんな感じに建っています
石碑には、島の歴史とか決戦の様子が書いてありますね。
古代伝説
本州と九州の間は陸続きでその下に湖の流れる穴があったが、長年の侵食と地殻変動によりいつの時代にか陥没、
その流れタ土壌が船島になったと平田?説を公表、それまでは本居宣長の「古事記伝」に書いた
「土壌が流れて引島に」や大同小異の伝説があった。
島名は、下関側で「舟島(現在は船島)」小倉側で「?島」とそれぞれ違ったよび方が受け継がれる事となる。
(石碑より)
1612年:宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘
嘉永2年(1848):吉田松蔭が上陸
明治43年(1910):佐々木巌流の碑が建立
大正10年(1911):斎藤茂吉上陸
昭和30年(1955):巌流島の住民がピーク時約30軒となる
昭和48年(1973):居住者ゼロへ
昭和62年(1887):アントニオ猪木とマサ斎藤がプロレス「夜ノデスマッチ」←猪木ボンバイエ(笑)
平成15年(2003):巌流島整備事業完工
大河ドラマ「MUSASHI」放映
今の島の状態になったのは21世紀になってからなんですね。
意外と新しいみたいです。
こんなイラストもあります。
石碑の左の3分の1の部分には、
右側に島の歴史が書いてあって、左側には、「二天記」と村上元三「佐々木小次郎」からの武蔵対小次郎の決闘の模様の要約などが書いてあります。